するだろう、というのだが、やはりつまりはおれの妻になるのだということになる。疑問に云っているがつまりは自らに肯定する云い方である。古代民謡は、ただ悲観的に反省し諦念《ていねん》してしまわないのが普通だからである。それからこの小楢の如く美しいというのは、楢の若葉の感じである。結句|多賀家可母多牟《タカケカモタム》は、「手カケカモタム」(仙覚抄)、「高キカモタムニテ、高キハ夫ナリ。夫ハ妻ノタメニハ天ナレバ高キト云ヘリ」(代匠記)等と解したが、大神真潮《おおみわのましお》が、誰笥歟将持《タガケカモタム》の意に解し、古義で紹介した。「香具山は畝火を愛《を》しと」の解と共に永久不滅である。但し、拾穂抄《しゅうすいしょう》に既に、「誰が家《け》か持たむ」の説があるが、「笥」までは季吟《きぎん》も思い及ばなかったのである。
第二の歌は、前にあった安蘇と同じ土地で、そこの河である。安蘇河の河原の石も踏まず、空から飛んでお前のところにやって来たのだ、何が何だか分からず宙を飛ぶような気持でやって来たのだから、これ程おもう俺《おれ》にお前の気持をいって呉れ、というので、「空ゆと来ぬ」が特殊ないい方で、今の
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