これも農民のあいだに伝わったものであろうが、序詞も無理でなく、実際生活を暗指《あんじ》しつつ恋愛情緒《れんあいじょうしょ》を具体的にいって、少しもみだらな感を伴《ともな》わず、嫉《ねた》ましい感をも伴わないのは、全体が邪気《じゃき》なく快《こころよ》いものだからであろう。それにはアドカ・アガセムという訛《なまり》も手伝っているらしく思われるけれども、単にそれのみでなく、「何《あど》か吾がせむ」という切実な句が此歌の価値を高めているからであろう。この句は万葉に「あどせろとかもあやに愛《かな》しき」(巻十四・三四六五)の例があるのみで、ほかは、「家に行きて如何にか吾がせむ[#「如何にか吾がせむ」に白丸傍点]枕づく嬬屋《つまや》さぶしく思ほゆべしも」(巻五・七九五)、「斯くばかり面影のみに思ほえばいかにかもせむ[#「いかにかもせむ」に白丸傍点]人目繁くて」(巻四・七五二)、「今のごと恋しく君が思ほえばいかにかもせむ[#「いかにかもせむ」に白丸傍点]為《す》るすべのなさ」(巻十七・三九二八)等の例があるのみである。東歌の中でも私はこの歌を愛している。

           ○

[#ここから
前へ 次へ
全531ページ中440ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング