人間というぐらいの意だが、やはり男という意味が勝っているであろう。
 略解《りゃくげ》で、「わがおもふ人のふたりと有ものならば、何かなげくべきと也」と云ったのは簡潔でいい。なお、この短歌の、「人二人」云々につき、代匠記で遊仙窟《ゆうせんくつ》の「天上無[#レ]双《ナラビ》人間《ヨノナカニ》有[#レ]一《ヒトリノミ》」という句を引いていたが、この歌の作られた頃に、遊仙窟が渡来したか奈何《どうか》も定めがたいし、「人二人ありとし念はば」というようないい方は相聞心の発露としてそのころでも云い得たものであろう。明治新派和歌のはじめの頃、服部躬治《はっとりもとはる》氏は、「天地の間に存在せるはたゞ二人のみ。二人のみと観ぜむは、夫婦それ自身の本能なり。観ぜざるべからざるにあらず、おのづからにして観ずべしとす。夫婦はしかも一体なり。大なる我なり。我を離れて天地あらず、天地の相は我の相なり。既に我の相を自識し、我の存在を自覚せらば、何をもとめて何かなげかむ。我は長《とこし》へに安かるべく、世は時じくに楽しかるべし。蓋《けだ》しこの安心は絶対なり」(恋愛詩評釈)と解釈し、古義の解釈を、「何ぞそれ鑑識のひ
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