れを赤人の、「田児の浦ゆうち出でて見れば」と比較することも出来る。「打出でて見れば」は「打出の浜」という名とは関係なく、若《も》しあっても後世の命名であろう。

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敷島《しきしま》の日本《やまと》の国《くに》に人《ひと》二人《ふたり》ありとし念《も》はば何《なに》か嗟《なげ》かむ 〔巻十三・三二四九〕 作者不詳
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 一首の意は、若しもこの日本の国にあなたのような方がお二人おいでになると思うことが出来ますならば、何《どう》してこんなに嗟《なげ》きましょう。恋しいあなたが唯《ただ》お一人のみゆえこんなにも悲しむのです、というので、この歌の「人」は貴方《あなた》というぐらいの意味である。この歌は女としての心の働き方が特殊で、今までの相聞歌の心の動き方と違うところがあっていい。この歌の長歌は、「敷島の大和の国に、人さはに満ちてあれども、藤波の思ひ纏《まつ》はり、若草の思ひつきにし、君が目に恋ひやあかさむ、長きこの夜を」(三二四八)というので、この反歌と余り即《つ》き過ぎぬところが旨《うま》いものである。この長歌の「人」は
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