白い浪が立っている、というので、大きい流動的な調子で歌っている。この調子は、はじめて湖の見え出した時の感じに依るもので、従って恋人に近づいたという情緒《じょうちょ》にも関聯するのである。そこで、「うち出でて見れば」と云って、「浪たちわたる」と結んでいるのである。即ちこの歌では「見れば」が大切だということになり、源実朝《みなもとのさねとも》の、「箱根路をわが越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」との比較の時にも伊藤左千夫がそう云っている。実際、万葉の此歌に較《くら》べると実朝の歌が見劣《みおと》りのするのは、第一声調がこの歌ほど緊張していないからであった。この歌は、「白木綿花(神に捧げる幣《ぬさ》の代用とした造花)に」などと現代の人の耳に直ぐには合わないような事を云っているが、はじめて見え出した湖に対する感動が極めて自然にあらわれているのが好いのである。第三句は、アフミノミでもアフミノウミでもどちらでも好い。それから、「淡海の海」と、「伊豆の海や」との比較にもなるのであるが、やはり「淡海の海」とした方がまさっているだろう。次にこの歌では、「相坂をうち出でて見れば」と云っているが、こ
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