が、類聚古集に「南武」とあるので、暫《しばら》く「情アラナム」に従って置いた。その方が、結句の響に調和するとおもったからである。結句の「隠さふべしや」の「や」は強い反語で、「隠すべきであるか、決して隠すべきでは無い」ということになる。長歌の結末にもある句だが、それを短歌の結句にも繰返して居り、情感がこの結句に集注しているのである。この作者が抒情詩人として優れている点がこの一句にもあらわれており、天然の現象に、恰《あたか》も生きた人間にむかって物言うごとき態度に出て、毫《ごう》も厭味《いやみ》を感じないのは、直接であからさまで、擬人などという意図を余り意識しないからである。これを試《こころみ》に、在原業平《ありわらのなりひら》の、「飽かなくにまだきも月の隠るるか山の端《は》逃げて入れずもあらなむ」(古今・雑上)などと比較するに及んで、更にその特色が瞭然《りょうぜん》として来るのである。
カクサフはカクスをハ行四段に活用せしめたもので、時間的経過をあらわすこと、チル、チラフと同じい。「奥つ藻を隠さふ[#「隠さふ」に白丸傍点]なみの五百重浪」(巻十一・二四三七)、「隠さはぬ[#「隠さはぬ」
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