すこし紅のにほひあるをいへり」といい、精撰本に、「朱引秦《アカヲヒクハダ》トハ、紅顔ニ応ジテ肌モニホフナリ」と云ったのは、契沖の文も覚官的で旨《うま》い。
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恋《こ》ひ死《し》なば恋《こ》ひも死《し》ねとや我妹子《わぎもこ》が吾家《わぎへ》の門《かど》を過《す》ぎて行《ゆ》くらむ 〔巻十一・二四〇一〕 柿本人麿歌集
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同上、人麿歌集出。一首の意は、恋死《こいじに》をするなら、勝手にせよというつもりで、あの恋しい女はおれの家の門を素通りして行くのだろう、というのである。こういうのも恋の一心情で、それを自然に誰の心にも這入《はい》って行けるように歌うのが民謡の一特徴であるが、鋭敏に心の働いたところがあるので、共鳴する可能性も多いのである。「恋ひ死なば恋も死ねとや玉桙《たまぼこ》の道ゆく人にことも告げなく」(巻十一・二三七〇)、「恋ひ死なば恋も死ねとや霍公鳥《ほととぎす》もの念《も》ふ時に来鳴き響《とよ》むる」(巻十五・三七八〇)等のあるのは、やはり模倣だとおもうが、こう比較してみると、人麿歌集のこの歌の方が旨い。
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