内容で、何時になったら、恋しいあの児の手を纏《ま》いて一しょに寝ることが出来るだろうか、という感慨を漏《も》らしたものだが、上は序詞で、鹿の入って行く入野、入野は地名で山城|乙訓《おとくに》郡大原野村上羽に入野神社がある。その入野の薄《すすき》と初尾花《はつおばな》と、いずれであろうかと云って、いずれの時かと続けたので、随分|煩《うるさ》いほどな技巧を凝《こ》らしている。こういう凝った技巧は今となっては余り感心しないものだが、当時の人は骨折ったし、読む方でも満足した。併しこの歌で私の心を引いたのは、そういう序詞でなく、「いづれの時か妹が手纏かむ」の句にあったのである。聖徳太子の歌に、「家にあらば妹が手|纏《ま》かむ草枕旅に臥《こや》せるこの旅人《たびと》あはれ」(巻三・四一五)があった。

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あしひきの山《やま》かも高《たか》き巻向《まきむく》の岸《きし》の子松《こまつ》にみ雪《ゆき》降《ふ》り来《く》る 〔巻十・二三一三〕 柿本人麿歌集
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 巻向《まきむく》は高い山だろう。山の麓《ふもと》の崖《がけ》に生えてい
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