浅茅が色づくを見ると、もう浪柴の野の黄葉が散るだろうと推量するので、こういう心理の歌が集中なかなか多いが、浪柴の野は黄葉の美しいので名高かったものの如く、また人の遊楽するところでもあったのであろう。そこでこの聯想も空漠《くうばく》でないのだが、私は、「浪柴の野のもみぢ散るらし」という歌調に感心したのであった。そして、「もみぢ散るらし」という結句の歌は幾つかあるような気がしていたが、実際当って見ると、この歌一首だけのようである。

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さを鹿《しか》の妻《つま》喚《よ》ぶ山《やま》の岳辺《をかべ》なる早田《わさだ》は苅《か》らじ霜《しも》は零《ふ》るとも 〔巻十・二二二〇〕 作者不詳
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 早稲田《わさだ》だからもう稔《みの》っているのだが、牡鹿《おじか》が妻喚ぶのをあわれに思って、それを驚かすに忍びないという歌である。それをば、「霜は降るとも」と念を押して、あわれに思うとか、同情してとかいう、主観語の無いのをも注意していい。岡辺という語は、「竜田路《たつたぢ》の岳辺《をかべ》の道に」(巻六・九七一)、「岡辺なる藤浪見
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