》であろう、というので、叙景の歌で、こういう佳景を歌に詠んで、皇子に献じたもので、寓意などは無かろうのに、先学等は「下心《したごころ》あるべし」などと云って、寓意を「皇子の御恩光にもれしを訴るやうによみて献れるにや、さてこの作者南淵氏の人などにてありしにや」(古義)と云々しているのは、学者等の一つの迷いである。この歌は叙景歌として、しっとりと落着いて、重厚にして単純、清厳《せいげん》とも謂うべき一首の味いである。「巌には」の「には」、「降れる斑雪か」の「か」のあたりに、微《かす》かに息《いき》を休めてしずかな感情を湛《たた》え、結句の、「消え残りたる」は、迫らない静かなゆらぎを持った句で、清厳の気は大体ここに発している。
この歌は、結局原本、「削遺有」とあるので、旧訓チルナミ・タレカ・ケヅリ・ノコセルであったのを、真淵の考で、千蔭の説により、「削」は「消」だとして、フレルハダレカ・キエノコリタルと訓んだ。この真淵の訓以前は、甚だしく面倒な解釈をしていたので、無理が多くて、一首の妙味を発揮することの出来なかったものである。作者と南淵山との位置関係は、「弓削皇子ノオハシマス宮ヨリ南淵山ノ
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