三・二六四)でもそうであるが、この歌も、単に仏教とか支那文学とかの影響を受け、それ等の文句を取って其儘《そのまま》詠んだというのでなく、巻向川(痛足《あなし》川)の、白く激《たぎ》つ水泡《みなわ》に観入して出来た表現なのである。恐らく此歌は人麿自身の作として間違は無いとおもうが、一寸見《ちょっとみ》には、ただ口に任せて調子で歌っているようにも聞こえるがそうではないのである。巻二に、人麿の妻を痛む歌があるが、この歌もああいう歌と関聯があるのかも知れず、又紀伊の海岸で詠んだ歌も妻を悲しみ追憶した歌だから、一しょにして味ってもいいだろう。

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春日《はるひ》すら田《た》に立《た》ち疲《つか》る君《きみ》は哀《かな》しも若草《わかくさ》の※[#「女+麗」、上−222−12]《つま》無《な》き君《きみ》が田《た》に立《た》ち疲《つか》る 〔巻七・一二八五〕 柿本人麿歌集
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 此処に、柿本人麿歌集に出づという旋頭歌《せどうか》が二十三首あるが、その一首だけ抜いて見た。旋頭歌は万葉にも数が少く、人麿でも人麿作と明かにその名の見
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