ひね》(天智天皇)の三山歌の反歌である。長歌は、「香具山《かぐやま》は畝傍《うねび》を愛《を》しと、耳成《みみなし》と相争ひき、神代より斯くなるらし、古《いにしへ》も然《しか》なれこそ、現身《うつそみ》も妻を、争ふらしき」というのであるが、反歌の方は、この三山が相争った時、出雲の阿菩大神《あほのおおかみ》がそれを諫止《かんし》しようとして出立し、播磨《はりま》まで来られた頃《ころ》に三山の争闘が止んだと聞いて、大和迄行くことをやめたという播磨|風土記《ふどき》にある伝説を取入れて作っている。風土記には揖保《いぼ》郡の処に記載されてあるが印南の方にも同様の伝説があったものらしい。「会ひし時」は「相戦った時」、「相争った時」という意味である。書紀神功皇后巻に、「いざ会はなわれは」とあるは相闘う意。毛詩に、「肆伐[#二]大商[#一]会朝清明」とあり、「会える朝」は即ち会戦の旦也と注せられた。共に同じ用法である。この歌の「立ちて見に来し」の主格は、それだから阿菩大神になるのだが、それが一首のうえにはあらわれていない。そこで一読しただけでは、印南国原が立って見に来たように受取れるのであるが、結句
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