常識の発達したぐらいな感情として伝わって来る。併し声調が流暢《りゅうちょう》過ぎぬため、却って軽佻《けいちょう》でなく、質朴の感を起こさせるのである。家持の歌に、「かからむとかねて知りせば越の海の荒磯の波も見せましものを」(巻十七・三九五九)というのがある。これは弟の書持《ふみもち》の死を悼《いた》んだものであるが、この憶良の歌から影響を受けているところを見ると、大伴家に伝わった此等の歌をも読味ったことが分かる。
 この日本挽歌一首(長歌反歌)は、憶良が旅人の心になって、旅人の心に同感して、旅人の妻の死を哀悼《あいとう》したという説に従ったが、これは、憶良の妻の死を、憶良が直接悼んでいるのだと解釈する説があり、岸本|由豆流《ゆずる》の万葉集|攷證《こうしょう》にも、「或人の説に、こは憶良の妻身まかりしにはあるべからず、こは大伴卿の心になりて、憶良の作られけるならんといへれど、さる証もなければとりがたし」と云っている程である。(なお、大柳直次氏の同説がある。)併し、歌の中の妻の死んだのも夏であり、その他の種々の関係が、旅人の妻の死を悼んだ歌として解釈する方が穏《おだや》かのように思える。
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