かや》なくば小松《こまつ》が下《した》の草《かや》を苅《か》らさね 〔巻一・一一〕 中皇命
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 中皇命が紀伊の温泉に行かれた時の御歌三首あり、この歌は第二首である。中皇命は前言した如く不明だし、前の中皇命と同じ方かどうかも分からない。天智天皇の皇后倭姫命だろうという説(喜田博士)もあるが未定である。若し同じおん方だろうとすると、皇極天皇(斉明天皇)に当らせ給うことになるから、この歌は後崗本宮《のちのおかもとのみや》御宇天皇(斉明)の処に配列せられているけれども、或は天皇がもっとお若くましました頃の御歌ででもあろうか。
 一首の意は、あなたが今旅のやどりに仮小舎をお作りになっていらっしゃいますが、若し屋根葺く萱草《かや》が御不足なら、彼処《あそこ》の小松の下の萱草をお刈りなさいませ、というのである。
 中皇命は不明だが、歌はうら若い高貴の女性の御語気のようで、その単純素朴のうちにいいがたい香気のするものである。こういう語気は万葉集でも後期の歌にはもはや感ずることの出来ないものである。「わが背子は」というのは客観的のいい方だが、実は、「あなたが」というので、当時にあ
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