空しきものとあらむとぞこの照る月は満闕《みちかけ》しける」という作者不詳の歌がある。王の薨去は天平元年だから、やはり旅人の歌の方が早い。

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悔《くや》しかも斯《か》く知《し》らませばあをによし国内《くぬち》ことごと見《み》せましものを 〔巻五・七九七〕 山上憶良
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 大伴旅人の妻が死んだ時、山上憶良《やまのうえのおくら》が、「日本挽歌」(長歌一首反歌五首)を作って、「神亀五年七月二十一日、筑前国守山上憶良上」として旅人に贈った。即ちこの長歌及び反歌は、旅人の心持になって、恰《あたか》も自分の妻を悼《いた》むような心境になって、旅人の妻の死を悼んだものである。それだから、この「山上憶良上」云々という注が無ければ、無論憶良が自分の妻の死を悼んだものとして受取り得る性質のものである。因《よ》って鑑賞者は、この歌の作者は憶良でも、旅人の妻即ち大伴郎女《おおとものいらつめ》の死を念中に持って味うことが必要なのである。
 一首の意は、こうして妻に別れねばならぬのが分かっていたら、筑紫の国々を残るくまなく見物させてやるのであ
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