《ト》つ国のとも訓べし。然れども云々の隣と書しからは、遠き国は本よりいはず、近きをいふなる中に、一国をさゝでは此哥《このうた》にかなはず、次下に、三輪山の事を綜麻形と書なせし事など相似たるに依ても、猶《なほ》上の訓を取るべし」とあり、なお真淵は、「こは荷田大人《かだのうし》のひめ哥《うた》也。さて此哥の初句と、斉明天皇紀の童謡《ワザウタ》とをば、はやき世よりよく訓《ヨム》人なければとて、彼童謡をば己に、此哥をばそのいろと荷田[#(ノ)]信名《のぶな》[#(ノ)]宿禰《すくね》に伝へられき。其後多く年経て此訓をなして、山城の稲荷山の荷田の家に問《とふ》に、全く古大人の訓に均《ひと》しといひおこせたり。然れば惜むべきを、ひめ隠しおかば、荷田大人の功も徒《いたづら》に成《なり》なんと、我友皆いへればしるしつ」という感慨を漏らしている。書紀垂仁天皇巻に、伊勢のことを、「傍国《かたくに》の可怜国《うましくに》なり」と云った如くに、大和に隣った国だから、紀の国を考えたのであっただろうか。
 古義では、「三室《みもろ》の大相土見乍湯家《ヤマミツツユケ》吾が背子がい立たしけむ厳橿が本《もと》」と訓み、
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