三)の如きになると、余り淡々とし過ぎているが、「われも見つ人にも告げむ」という簡潔な表現になると赤人の真価があらわれて来る。後になって家持が、「万代の語《かたら》ひ草と、未だ見ぬ人にも告げむ」(巻十七・四〇〇〇)云々と云って、この句を学んで居る。赤人は富士山をも詠んだこと既に云った如くだから、赤人は東国まで旅したことが分かる。
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吾妹子《わぎもこ》が見《み》し鞆《とも》の浦《うら》の室《むろ》の木《き》は常世《とこよ》にあれど見《み》し人《ひと》ぞ亡《な》き 〔巻三・四四六〕 大伴旅人
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太宰帥《だざいのそち》大伴旅人が、天平二年冬十二月、大納言になったので帰京途上、備後《びんご》鞆の浦を過ぎて詠んだ三首中の一首である。「室の木」は松杉科の常緑喬木、杜松(榁)であろう。当時鞆の浦には榁《むろ》の大樹があって人目を引いたものと見える。一首の意は、太宰府に赴任する時には、妻も一しょに見た鞆の浦の室《むろ》の木《き》は、今も少しも変りはないが、このたび帰京しようとして此処を通る時には妻はもう此世にいない、というので
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