接するように感ぜられる。即ち、一首の声調が如何にもごつごつしていて、「もののふの八十《やそ》うぢがはの網代木《あじろぎ》に」というような伸々《のびのび》した調子には行かない。一首の中に、三つも「らむ」を使って居りながら、訥々《とつとつ》としていて流動の響に乏しい。「わが背子は何処ゆくらむ沖つ藻《も》の名張《なばり》の山をけふか越ゆらむ」(巻一・四三)という「らむ」の使いざまとも違うし、結句に、「吾を待つらむぞ」と云っても、人麿の「妹見つらむか」とも違うのである。そういう風でありながら、何処かに実質的なところがあり、軽薄平俗になってしまわないのが其特色である。またそういう滑《なめら》かでない歌調が、当時の人にも却って新しく響いたのかも知れない。憶良は、大正昭和の歌壇に生活の歌というものが唱えられた時、いち早くその代表的歌人のごとくに取扱われたが、そのとおり憶良の歌には人間的な中味があって、憶良の価値を重からしめて居る。
諧謔《かいぎゃく》微笑のうちにあらわるる実生活的直接性のある此歌だけを見てもその特色がよく分かるのである。この一首は憶良の短歌ではやはり傑作と謂うべきであろう。憶良は歌
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