てゆく傾向も既に醸《かも》されつつあるのは、単にこの歌のみでなく、一般に傾向文学の入ってゆかねばならぬ運命でもあるのである。またこの歌の作風は旅人の歌にあるような、明快で豊かなものだから、繰返しているうちに平板通俗にも移行し得るのである。人麿以前の歌調などと較べるとその差が既に著しい。「梅の花いまさかりなり思ふどち※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭《かざし》にしてな今さかりなり」(巻五・八二〇)という歌を参考とすることが出来る。
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わが盛《さかり》また変若《をち》めやもほとほとに寧楽《なら》の京《みやこ》を見ずかなりなむ 〔巻三・三三一〕 大伴旅人
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太宰帥大伴旅人《だざいのそちおおとものたびと》が、筑紫太宰府にいて詠んだ五首中の一つである。旅人は六十二、三歳頃(神亀三、四年)太宰帥に任ぜられ、天平二年大納言になって兼官の儘上京し、天平三年六十七歳で薨じている。そこで此歌は、六十三、四歳ぐらいの時の作だろうと想像せられる。
一首の意は、吾が若い盛りが二たび還って来るこ
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