あって、だらりとした弛緩《しかん》がない。ゆえに、規模が大きく緊密な声調にせねばならぬような対象の場合に、他の歌人の企て及ばぬ成功をするのである。この一首中にあって最も注意すべき二つの句、即ち、第三句で、「真白にぞ」と大きく云って、結句で、「雪は降りける」と連体形で止めたのは、柿本人麿の、「青駒の足掻《あがき》を速み雲居にぞ[#「にぞ」に白丸傍点]妹があたりを過ぎて来にける[#「来にける」に白丸傍点]」(巻二・一三六)という歌と形態上甚だ似ているにも拘《かか》わらず、人麿の歌の方が強く流動的で、赤人の歌の方は寧ろ浄勁《じょうけい》とでもいうべきものを成就《じょうじゅ》している。古義で、「真白くぞ」と訓み、新古今で、「田子の浦に打出て見れば白妙の富士の高根に雪は降りつつ」として載せたのは、種々比較して味うのに便利である。また、無名氏の反歌、「不尽《ふじ》の嶺《ね》に降り置ける雪は六月《みなづき》の十五日《もち》に消ぬればその夜降りけり」(巻三・三二〇)も佳い歌だから、此処に置いて味っていい。(附記。山田博士の講義に、「田児浦の内の或地より打ち出で見ればといふことにて足る筈なり。かくてその
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