寓意の如きは奥の奥へ潜《ひそ》めて置くのが、現代人の鑑賞の態度でなければならない。そうして味えば、この歌には皇子一流の写生法と感傷とがあって、しんみりとした人生観相を暗指《あんじ》しているのを感じ、選ぶなら選ばねばならぬものに属している。寓意説のおこるのは、このしみじみした感傷があるためであるが、それをば寓意として露骨にするから、全体を破壊してしまうのである。天平十一年|大伴坂上郎女《おおとものさかのうえのいらつめ》の歌に、「ますらをの高円《たかまと》山に迫《せ》めたれば里に下《お》りける※[#「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2−94−68]鼠《むささび》ぞこれ」(巻六・一〇二八)というのがあり、これは実際この小獣を捕えた時の歌で寓意でなく、この小獣に注して、「俗に牟射佐妣《むささび》といふ」とあるから愛すべき小獣として人の注目を牽《ひ》いたものであろう。略解《りゃくげ》に、「此御歌は人の強《し》ひたる物ほしみして身を亡すに譬《たとへ》たまへるにや。此皇子の御歌にはさる心なるも又見ゆ。大友大津の皇子たちの御事などを御まのあたり見たまひて、しかおぼすべきなり」とあるなどは寓意説に溺
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