想的模倣歌などと比較すべき性質のものではない。弁基《べんき》(春日蔵首老《かすがのくらびとおゆ》)の歌に、「まつち山ゆふ越え行きていほさきの角太河原《すみたかはら》にひとりかも寝む」(巻三・二九八)というのがあるが、この頃の人々は、自由に作っていて感のとおっているのは気持が好い。
近時土屋文明氏は、「神之埼」をカミノサキと訓む説を肯定し、また紀伊新宮附近とするは万葉時代交通路の推定から不自然のようにおもわれることを指摘し、和泉《いずみ》日根郡の神前を以て擬するに至った。また佐野も近接した土地で共に万葉時代から存在した地名と推定することも出来、和泉ならば紀伊行幸の経路であるから、従駕の作者が詠じたものと見ることが出来るというのである。
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淡海《あふみ》の海《うみ》夕浪《ゆふなみ》千鳥《ちどり》汝《な》が鳴《な》けば心《こころ》もしぬにいにしへ思《おも》ほゆ 〔巻三・二六六〕 柿本人麿
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柿本人麿の歌であるが、巻一の近江旧都回顧の時と同時の作か奈何《どう》か不明である。「夕浪千鳥」は、夕べの浪の上に立ちさわぐ千
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