から遊離した上《うわ》の空《そら》の言辞ということになるのである。或人はこの歌を空虚な歌として軽蔑するが、自分はやはり人麿一代の傑作の一つとして尊敬するものである。
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苦《くる》しくも降《ふ》り来《く》る雨《あめ》か神《みわ》が埼《さき》狭野《さぬ》のわたりに家《いへ》もあらなくに 〔巻三・二六五〕 長奥麻呂
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長忌寸奥麻呂《ながのいみきおきまろ》(意吉麻呂)の歌である。神が埼(三輪崎)は紀伊国東|牟婁《むろ》郡の海岸にあり、狭野《さぬ》(佐野)はその近く西南方で、今はともに新宮市に編入されている。「わたり」は渡し場である。第二句で、「降り来る雨か」と詠歎して、愬《うった》えるような響を持たせたのにこの歌の中心があるだろう。そして心が順直に表わされ、無理なく受納れられるので、古来万葉の秀歌として評価されたし、「駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ」という如き、藤原定家の本歌取の歌もあるくらいである。それだけ感情が通常だとも謂えるが、奥麻呂は実地に旅行しているのでこれだけの歌を作り得た。定家の空
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