いうことである。こういう歌調も万葉歌人全般という訣《わけ》には行かず、家持の如きも、こういう歌調を学んでなおここまで到達せずにしまったところを見れば、何《なん》の彼《か》のと安易に片付けてしまわれない、複雑な問題が包蔵されていると考うべきである。この歌の、「恋ひ来れば」も、前の、「心|恋《こほ》しき」に類し、ただ一つこういう主観語を用いているのである。一、二参考歌を拾うなら、「旅にして物恋《ものこほ》しきに山下の赤《あけ》のそほ船沖に榜《こ》ぐ見ゆ」(巻三・二七〇)は黒人作、「堀江より水脈《みを》さかのぼる楫《かぢ》の音の間なくぞ奈良は恋しかりける」(巻二十・四四六一)は家持作である。共に「恋」の語が入っている。
なお、人麿の※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅歌には、「飼飯《けひ》の海の庭《には》よくあらし苅《かり》ごもの乱《みだ》れいづ見ゆ海人《あま》の釣船」(巻三・二五六)というのもあり、棄てがたいものである。飼飯の海は、淡路西海岸三原郡|湊《みなと》町の近くに慶野松原がある。其処《そこ》の海であろう。なお、人麿が筑紫《つくし》に下った時の歌、「名ぐは
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