しき稲見《いなみ》の海の奥つ浪|千重《ちへ》に隠《かく》りぬ大和島根は」(同・三〇三)、「大王《おほきみ》の遠《とほ》のみかどと在り通ふ島門《しまと》を見れば神代し念《おも》ほゆ」(同・三〇四)があり、共に佳作であるが、人麿の歌が余り多くなるので、従属的に此処《ここ》に記すこととした。新羅《しらぎ》使等が船上で吟誦した古歌として、「天離《あまざか》るひなの長道《ながぢ》を恋ひ来れば明石の門より家の辺《あたり》見ゆ」(巻十五・三六〇八)があるが、此は人麿の歌が伝わったので、人麿の歌を分かり好く変化せしめている。

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矢釣山《やつりやま》木立《こだち》も見《み》えず降《ふ》り乱《みだ》る雪《ゆき》に驟《うくつ》く朝《あした》たぬしも 〔巻三・二六二〕 柿本人麿
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 柿本人麿が新田部《にいたべ》皇子に献《たてまつ》った長歌の反歌で、長歌は、「やすみしし吾|大王《おほきみ》、高|耀《ひか》る日《ひ》の皇子《みこ》、敷《し》きいます大殿《おほとの》の上に、ひさかたの天伝《あまづた》ひ来る、雪じもの往きかよひつつ、いや常世《
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