かぬかも」、「見れば悲しも」、「隠さふべしや」等でも、結局は同一に帰するのである。そういうことを万葉の歌人が実行しているのだから、驚き尊敬せねばならぬのである。こういう事は、近く出す拙著、「短歌初学門」でも少しく説いて置いた筈である。
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天《あま》ざかる夷《ひな》の長路《ながぢ》ゆ恋《こ》ひ来れば明石《あかし》の門《と》より倭島《やまとしま》見《み》ゆ 〔巻三・二五五〕 柿本人麿
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人麿作、※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅八首中の一。これは西から東へ向って帰って来る時の趣で、一首の意は、遠い西の方から長い海路を来、家郷恋しく思いつづけて来たのであったが、明石の海門まで来ると、もう向うに大和が見える、というので、※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅の歌としても随分自然に歌われている。それよりも注意するのは、一首が人麿一流の声調で、強く大きく豊かだということである。そしていて、浮腫《ふしゅ》のようにぶくぶくしていず、遒勁《しゅうけい》とも謂《い》うべき響だと
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