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滝《たぎ》の上《うへ》の三船《みふね》の山《やま》に居《ゐ》る雲《くも》の常《つね》にあらむとわが思《も》はなくに 〔巻三・二四二〕 弓削皇子
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 弓削皇子《ゆげのみこ》(天武天皇第六皇子、文武天皇三年薨去)が吉野に遊ばれた時の御歌である。滝《たぎ》は宮滝の東南にその跡が残っている。三船山はその南にある。
 滝の上の三船の山には、あのようにいつも雲がかかって見えるが、自分等はああいう具合に常住ではない。それが悲しい、というので、「居る雲の」は、「常」にかかるのであろう。「常にあらむとわが思はなくに」の句に深い感慨があって、人麿の、「いさよふ波の行方しらずも」などとも一脈相通ずるものがあるのは、当時の人の心にそういう共通な観相的傾向があったとも解釈することが出来る。なお集中、「常にあらぬかも」、「常ならめやも」の句ある歌もあって参考とすべきである。いずれにしても此歌は、景を叙しつつ人間の心に沁み入るものを持って居る。此御歌に対して、春日王《かすがのおおきみ》は、「大君は千歳にまさむ白雲も三船の山に絶ゆる日あらめや」(巻三・二四
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