や》。現在の大阪豊崎町)に行幸せられた時の作であろう。
 海岸で網を引上げるために、網引く者どもの人数を揃《そろ》えいろいろ差図手配する海人《あま》のこえが、離宮の境内まで聞こえて来る、という歌である。応詔の歌だから、調べも謹直であるが、ありの儘を詠んでいる。併しありの儘を詠んでいるから、大和の山国から海浜に来た人々の、喜ばしく珍しい心持が自然にあらわれるので、強《し》いて心持を出そうなどと意図しても、そう旨《うま》く行くものでは無い。
 また、この歌は応詔の歌であるが、特に帝徳を讃美したような口吻もなく、離宮に聞こえて来る海人等の声を主にして歌っているのであるが、それでも立派に応詔歌になっているのを見ると、万葉集に散見する献歌の中に、強いて寓意《ぐうい》を云々するのは間違だとさえおもえるのである。例えば、「うち手折《たを》り多武《たむ》の山霧しげみかも細川の瀬に波のさわげる」(巻九・一七〇四)という、舎人皇子《とねりのみこ》に献った歌までに寓意を云々するが如きである。つまり、同じく「詔」でも、属目《しょくもく》の歌を求められる場合が必ずあるだろうとおもうからである。

       
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