しかし、お互の御親密の情がこれだけ自由自在に現われるということは、後代の吾等には寧ろ異といわねばならぬ程である。万葉集の歌は千差万別だが、人麿の切実な歌などのあいだに、こういう種類の歌があるのもなつかしく、尊敬せねばならぬのである。この第一の歌の題詞はただ「天皇」とだけあるが、諸家が皆持統天皇であらせられると考えている。さすれば天皇の歌人としての御力量は、「春過ぎて夏来るらし」の御製等と共に、近臣の助力云々などの想像の、いかに当らぬものだかということを証明するものである。「志斐い」の「い」は語調のための助詞で、「紀の関守い留めなむかも」(巻四・五四五)などと同じい。山田博士は、「このイは主格を示す古代の助詞」だと云っている。
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大宮《おほみや》の内《うち》まで聞《きこ》ゆ網引《あびき》すと網子《あご》ととのふる海人《あま》の呼《よ》び声《ごゑ》 〔巻三・二三八〕 長意吉麻呂
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長忌寸意吉麻呂《ながのいみきおきまろ》が詔に応《こた》え奉った歌であるが、持統天皇か文武天皇か難波宮(長柄豊崎宮《ながらのとよさきのみ
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