ていたものであっただろうし、そこで愛惜の心も強く附帯していることとなる。「迷はせる」は迷いなされたという具合に敬語にしている。これは死んだ者に対しては特に敬語を使ったらしく、その他の人麿の歌にも例がある。この一首は亡妻を悲しむ心が極《きわ》めて切実で、ただ一気に詠みくだしたように見えて、その実心の渦が中にこもっているのである。「求めむ」と云ってもただ尋ねようというよりも、もっと覚官的に人麿の身に即したいい方であるだろう。
 なお、人麿の妻を悲しんだ歌に、「去年《こぞ》見てし秋の月夜は照らせども相見し妹《いも》はいや年さかる」(巻二・二一一)、「衾道《ふすまぢ》を引手《ひきて》の山に妹を置きて山路をゆけば生けりともなし」(同・二一二)がある。共に切実な歌である。二一一の第三句は、「照らせれど」とも訓んでいる。一周忌の歌だろうという説もあるが、必ずしもそう厳重に穿鑿《せんさく》せずとも、今秋の清い月を見て妻を追憶して歎く趣に取ればいい。「衾道を」はどうも枕詞のようである。「引手山」は不明だが、春日《かすが》の羽易《はがい》山の中かその近くと想像せられる。

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