くさか》り葺《ふ》き宿《やど》れりし兎道《うぢ》の宮処《みやこ》の仮廬《かりいほ》し思《おも》ほゆ 〔巻一・七〕 額田王
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額田王《ぬかだのおおきみ》の歌だが、どういう時に詠《よ》んだものか審《つまびら》かでない。ただ兎道《うじ》は山城の宇治で、大和と近江との交通路に当っていたから、行幸などの時に仮の御旅宿を宇治に設けたもうたことがあったのであろう。その時額田王は供奉《ぐぶ》し、後に当時を追懐して詠んだものと想像していい。額田王は、額田姫王と書紀にあるのと同人だとすると、額田王は鏡王《かがみのおおきみ》の女で、鏡女王《かがみのおおきみ》の妹であったようだ。初め大海人皇子《おおあまのみこ》と御婚《みあい》して十市皇女《とおちのひめみこ》を生み、ついで天智天皇に寵《ちょう》せられ近江京に行っていた。「かりいほ」は、原文「仮五百《かりいほ》」であるが真淵の考《こう》では、カリホと訓んだ。
一首の意。嘗《かつ》て天皇の行幸に御伴をして、山城の宇治で、秋の野のみ草(薄《すすき》・萱《かや》)を刈って葺《ふ》いた行宮《あんぐう》に宿《やど》ったときの興深かったさまがおも
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