かむ》さびて恋をも我は更にするかも」(巻十一・二四一七)、「現《うつつ》にも夢《いめ》にも吾は思《も》はざりき旧《ふ》りたる君に此処に会《あ》はむとは」(同・二六〇一)等があり、老人の恋でおもしろい。
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奥山《おくやま》の真木《まき》の板戸《いたど》を音《おと》速《はや》み妹《いも》があたりの霜《しも》の上《へ》に宿《ね》ぬ 〔巻十一・二六一六〕 作者不詳
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「音速み」は、音がひどいのでの意で、今なら音響の鋭敏などというところを、「音速み」と云っているのは旨いものである。「奥山の真木の」までは序詞。一首の意は、折角女の家まで行って板戸をたたいたが、その音が余り大きく響くので、家人に気づかれるのを怖れて、近くの霜の上に寝た、というので、民謡風のものだが、そう簡単に片付けてしまわれぬものがある。「霜の上に寝ぬ」は民謡的に誇張があり文学的ないい方である。けれどもそれをただの誇張として素通り出来ぬものを感ずるのはどういうわけであろうか。「妹ガ閨《ねや》ノ板戸ヲ開ムトスレバ、音ノ高クテ人ノ聞付ム事ヲ恐レ、サリトテ帰リモエヤラデ其アタリノ霜ノ上ニ一夜寝タルトナリ」(代匠記)の解は簡潔でよいから記して置く。新考で、「音速」を、「押し難み」だろうといったが、それは古今集ばり常識である。
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月夜《つくよ》よみ妹に逢はむと直道《ただぢ》から吾は来つれど夜ぞふけにける 〔巻十一・二六一八〕 作者不詳
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「直道」は、真直な道、まわり道しない道のこと、近道。「から」は「より」と同じで、「之乎路《しをぢ》から直越《ただこ》え来れば羽咋《はぐひ》の海朝なぎしたり船楫《ふねかぢ》もがも」(巻十七・四〇二五)、「直《ただ》に行かず此《こ》ゆ巨勢路《こせぢ》から石瀬《いはせ》踏み求《と》めぞ吾が来し恋ひて術《すべ》なみ」(巻十三・三三二〇)、「ほととぎす鳴きて過ぎにし岡傍《をかび》から秋風吹きぬよしもあらなくに」(巻十七・三九四六)などの「から」は皆「より」の意味だから、只今私等の使う「から」は既にこの頃からあったのである。この歌は、急いでまわり道もせずに来たが、それでも夜が更《ふ》けたという、そこに感慨があるのである。直接に女に愬《うった》えていない客観的ないい方だけれども民謡的な特徴が其処《そこ》に存じている。
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燈《ともしび》のかげに耀《かがよ》ふうつせみの妹《いも》が咲《ゑまひ》しおもかげに見ゆ 〔巻十一・二六四二〕 作者不詳
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寄[#レ]物述[#レ]思の中に分類せられている。自分の恋しい女が燈火のもとにいて、嬉しそうににこにこしていた時の、何ともいえぬ美しく耀《かがや》くような現身《うつせみ》即ち体《からだ》そのものの女が、今おもかげに立って来ている、というのである。この歌は嬉しい心持で女身を讃美しているのだから、幾分誇張があって、美麗過ぎる感があるけれども、本人は骨折っているのだからそれに同情して味う方がいい。「年も経ず帰り来《こ》なむと朝影に待つらむ妹が面影に見ゆ」(巻十二・三一三八)などと較べると、「燈のかげに」の方は覚官的に直接に云っている。
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難波人《なにはびと》葦火《あしび》焚《た》く屋《や》の煤《す》してあれど己《おの》が妻こそ常《とこ》めづらしき 〔巻十一・二六五一〕 作者不詳
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寄[#レ]物述[#レ]思の一首。難波の人が葦火《あしび》を焚くので家が煤《すす》けるが、おれの妻もそのようにもう古び煤けた。けれどもおれの妻はいつまで経《た》っても見飽きない、おれの妻はやはりいつまでも一番いい、というので、若い者の甘い恋愛ともちがって落着いたうちに無限の愛情をたたえている。軽い諧謔《かいぎゃく》を含めているのも親しみがあって却《かえ》って好いし、万葉の歌は万事写生であるから、縦《たと》い平凡のようでも人間の実際が出ているのである。「青山の嶺《みね》の白雲朝にけに常に見れどもめづらし吾君」(巻三・三七七)、「住吉の里行きしかば春花のいやめづらしき君にあへるかも」(巻十・一八八六)等の例がある。結句ツネメヅラシキと訓んで居り、いずれでも好い。
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馬《うま》の音《と》のとどともすれば松蔭《まつかげ》に出《い》でてぞ見《み》つる蓋《けだ》し君かと 〔巻十一・二六五三〕 作者不詳
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結句、原文「若君香跡」で、旧訓モシハ・キミカト、考モシモ・キミカトであったのを古義でケダシ・
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