に行かないのは、一面はそういう素材如何にも因《よ》るのであって、こういう素材になれば、こういう歌調をおのずから要求するものともいうことが出来る。
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布施《ふせ》置《お》きて吾《われ》は乞《こ》ひ祷《の》む欺《あざむ》かず直《ただ》に率行《ゐゆ》きて天路《あまぢ》知《し》らしめ 〔巻五・九〇六〕 山上憶良
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これも同じ歌で、「布施」は仏教語で、捧げ物の事だから、前の歌の、「幣」と同じ事に落着く。この歌も、童子の死にゆくさまを歌っているが、この方は黄泉でなく、天路のことを云っている。共に死者の往く道であるが、この方は稍《やや》日本的に云っている。初句原文「布施於吉弖」は旧訓フシオキテであるが、略解《りゃくげ》で、「布施はぬさと訓べし。又たゞちにふせとも訓べき也。こゝに乞《こひ》のむといへるは、仏に乞《こふ》にて、神に祷《いの》るとは事異なれば、幣《ヌサ》とはいはで、布施と言へる也。施を※[#「糸+施のつくり」、第3水準1−90−1]の誤として、ふしおき(臥起)てとよめるはひがこと也」と云った。いかにもその通りで、「伏し起きて」では意味を成さない。この歌もこれだけの複雑なことを云っていて、相当の情調をしみ出でさせるのは、先ず珍とせねばなるまい。
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巻第六
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山《やま》高《たか》み白木綿花《しらゆふはな》に落《お》ちたぎつ滝《たぎ》の河内《かふち》は見《み》れど飽《あ》かぬかも 〔巻六・九〇九〕 笠金村
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元正《げんしょう》天皇、養老七年夏五月芳野離宮に行幸あった時、従駕の笠金村《かさのかなむら》が作った長歌の反歌である。「白木綿」は栲《たえ》、穀《かじ》(穀桑楮)の皮から作った白布、その白木綿《しらゆう》の如くに水の流れ落つる状態である。「河内《かふち》」は、河から繞《めぐ》らされている土地をいう。既に人麿の歌に、「たぎつ河内《かふち》に船出《ふなで》するかも」(巻一・三九)がある。また、「見れど飽かぬかも」という結句も、人麿の、「珠水激《いはばし》る滝の宮処《みやこ》は、見れど飽かぬかも」(巻一・三六)のほか、万葉には可なりある。
この一首は、従駕の作であるから、謹んで作っているので、その歌調もおのずから華朗《かろう》で荘重である。けれどもそれだけ類型的、図案的で、特に人麿の歌句の模倣なども目立つのである。併し、この朗々とした荘重な歌調は、人麿あたりから脈を引いて、一つの伝統的なものであり、万葉調といえば、直ちに此種のものを聯想し得る程であるから、後代の吾等は時を以て顧《かえりみ》るべき性質のものである。巻九(一七三六)に、「山高み白木綿花《しらゆふはな》に落ちたぎつ夏実《なつみ》の河門《かはと》見れど飽かぬかも」というのがあるのは、恐らく此歌の模倣であろうから、そうすれば金村のこの形式的な一首も、時に人の注意を牽《ひ》いたに相違ない。
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奥《おき》つ島《しま》荒磯《ありそ》の玉藻《たまも》潮《しほ》干満《ひみ》ちい隠《かく》れゆかば思《おも》ほえむかも 〔巻六・九一八〕 山部赤人
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聖武《しょうむ》天皇、神亀《じんき》元年冬十月紀伊国に行幸せられた時、従駕の山部赤人の歌った長歌の反歌である。「沖つ島」は沖にある島の意で、此処は玉津島《たまつしま》のことである。
一首の意は、沖の島の荒磯に生えている玉藻刈もしたが、今に潮が満ちて来て荒磯が隠れてしまうなら、心残りがして、玉藻を恋しくおもうだろう、というのである。長歌の方で、「潮干れば玉藻苅りつつ、神代より然ぞ尊き、玉津島山」とあるのを受けている。
第四句、板本《はんぽん》、「伊隠去者」であるから、「い隠《かく》れゆかば」或は「い隠《かく》ろひなば」と訓んだが、元暦校本・金沢本・神田本等に、「※[#「にんべん+弖」、上−192−12]隠去者」となっているから、「※[#「にんべん+弖」、上−192−12]」を上につけて「潮干みちて[#「みちて」に白丸傍点]隠《かく》ろひゆかば」とも訓んでいる。これは二つの訓とも尊重して味うことが出来る。
この歌は、中心は、「潮干満ちい隠れゆかば思ほえむかも」にあり、赤人的に清淡の調であるが、なかに情感が漂《ただよ》っていて佳い歌である。海の玉藻に対する係恋《けいれん》とも云うべきもので、「思ほえむかも」は、多くは恋人とか旧都などに対して用いる言葉であるが、この歌では「玉藻」に云っている。もっとも集中には、例えば、「飼飯《けひ》の浦に寄する白浪しくしくに妹が容儀《すがた》はおもほゆるかも」(巻十二・三
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