乗るらむか」という一句が一首を統一してその中心をなしている。船に慣れないことに同情してその難儀をおもいやるに、ただ、「妹乗るらむか」とだけ云っている、そして、結句の、「荒き島回を」に応接せしめている。
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吾背子《わがせこ》はいづく行《ゆ》くらむ奥《おき》つ藻《も》の名張《なばり》の山《やま》を今日《けふ》か越《こ》ゆらむ 〔巻一・四三〕 当麻麿の妻
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当麻真人麿《たぎまのまひとまろ》の妻が夫の旅に出た後詠んだものである。或は伊勢行幸にでも扈従《こじゅう》して行った夫を偲《しの》んだものかも知れない。名張山は伊賀名張郡の山で伊勢へ越ゆる道筋である。「奥つ藻の」は名張へかかる枕詞で、奥つ藻は奥深く隠れている藻だから、カクルと同義の語ナバル(ナマル)に懸けたものである。
一首の意は、夫はいま何処を歩いていられるだろうか。今日ごろは多分名張の山あたりを越えていられるだろうか、というので、一首中に「らむ」が二つ第二句と結句とに置かれて調子を取っている。この「らむ」は、「朝踏ますらむ」あたりよりも稍軽快である。この歌は古来秀歌として鑑賞せられたのは万葉集の歌としては分かり好く口調も好いからであったが、そこに特色もあり、消極的方面もまたそこにあると謂っていいであろうか。併しそれでも古今集以下の歌などと違って、厚みのあるところ、名張山という現実を持って来たところ等に注意すべきである。
この歌は、巻四(五一一)に重出しているし、又集中、「後れゐて吾が恋ひ居れば白雲《しらくも》の棚引く山を今日か越ゆらむ」(巻九・一六八一)、「たまがつま島熊山の夕暮にひとりか君が山路越ゆらむ」(巻十二・三一九三)、「息《いき》の緒《を》に吾が思《も》ふ君は鶏《とり》が鳴く東《あづま》の坂を今日か越ゆらむ」(同・三一九四)等、結句の同じものがあるのは注意すべきである。
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阿騎《あき》の野《ぬ》に宿《やど》る旅人《たびびと》うちなびき寐《い》も寝《ぬ》らめやも古《いにしへ》おもふに 〔巻一・四六〕 柿本人麿
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軽皇子《かるのみこ》が阿騎野(宇陀郡松山町附近の野)に宿られて、御父|日並知皇子《ひなみしのみこ》(草壁皇子)を追憶せられた。その時人麿の作っ
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