このあたりの家持の歌の作歌動機は、常に儀式的なもののみであるのも、何かを暗指しているような気がしてならない。「いふ」で止めた例は、「赤駒を打ちてさ緒《を》引き心引きいかなる兄《せな》か吾許《わがり》来むと言ふ」(巻十四・三五三六)、「渋渓《しぶたに》の二上山に鷲《わし》ぞ子産《こむ》とふ翳《さしは》にも君が御為に鷲ぞ子生《こむ》とふ」(巻十六・三八八二)があるのみである。

           ○

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池水《いけみづ》に影《かげ》さへ見《み》えて咲《さ》きにほふ馬酔木《あしび》の花《はな》を袖《そで》に扱入《こき》れな 〔巻二十・四五一二〕 大伴家持
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 大伴家持の山斎属目《さんさいしょくもく》の歌だから、庭前の景をそのまま詠《よ》んでいる。「影さへ見えて」の句も既にあったし、家持苦心の句ではない。ただ、「馬酔木の花を袖に扱入《こき》れな」というのが此歌の眼目で佳句であるが、「引き攀《よ》ぢて折らば散るべみ梅の花袖に扱入《こき》れつ染《し》まば染《し》むとも」(巻八・一六四四)の例もあり、家持も「白妙の袖にも扱入れ」(巻十八・四一一一)、「藤浪の花なつかしみ、引き攀ぢて袖に扱入《こき》れつ、染《し》まば染《し》むとも」(巻十九・四一九二)と作っているから、あえて此歌の手柄ではないが、馬酔木《あしび》の花を扱入《こき》れなといったのは何となく適切なようにおもわれる。併し全体として写生力が足りなく、諳記《あんき》により手馴れた手法によって作歌する傾向が見えて来ている。そして其《それ》に対して反省せんとする気魄《きはく》は、そのころの家持にはもう衰えていたのであっただろうか。私はまだそうは思わない。

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あらたしき年《とし》の始《はじ》めの初春《はつはる》の今日《けふ》降《ふ》る雪《ゆき》のいや重《し》け吉事《よごと》 〔巻二十・四五一六〕 大伴家持
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 天平宝字三年春正月一日、因幡《いなば》国庁に於て、国司の大伴家持が国府の属僚郡司等に饗《あえ》した時の歌で、家持は二年六月に因幡守に任ぜられた。「新しき」はアラタシキである。新年に降った雪に瑞兆《ずいちょう》を託しつつ、部下と共に前途を祝福した、寧《むし》ろ形式的な歌であるが、「の」を以て続けた、伸々
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