為《せ》そ」という句は、悪い調子を持っていて慈心《じしん》が無い。とげとげしくて増上《ぞうじょう》の気配《けはい》があるから、そこに行くと家持の歌の方は一段と大きく且《か》つ気品がある。「剣大刀《つるぎたち》いよよ研《と》ぐべし」や、「丈夫《ますらを》は名をし立つべし」の方が、同じく発奮でも内省的なところがあり、従って慈味が湛《たた》えられている。仲麿は作歌の素人《しろうと》なために、この差別があるともおもうが、抒情詩の根本問題は、素人《しろうと》玄人《くろうと》などの問題などではない。よって此歌を選んで置いた。
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大《おほ》き海《うみ》の水底《みなそこ》深《ふか》く思《おも》ひつつ裳引《もび》きならしし菅原《すがはら》の里《さと》 〔巻二十・四四九一〕 石川女郎
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「藤原|宿奈麿《すくなまろ》朝臣の妻、石川|女郎《いらつめ》愛薄らぎ離別せられ、悲しみ恨《うら》みて作れる歌年月いまだ詳《つまびらか》ならず」という左注のある歌である。宿奈麿は宇合《うまかい》の第二子、後内大臣まで進んだ。「菅原の里」は大和国|生駒《いこま》郡、今の奈良市の西の郊外にある。昔は平城京の内で、宿奈麿の邸宅が其処《そこ》にあったものと見える。一首は、大海の水底のように深く君をおもいながら、裳《も》を長く引き馴《な》らして楽しく住んだあの菅原の里よ、というので、こういう背景のある歌として哀《あわれ》深いし、「裳引ならしし菅原の里」あたりは、女性らしい細みがあっていい。ただこういう背景が無いとして味えば、歌柄の稍《やや》軽いのは時代と相関のものであろう。
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初春《はつはる》の初子《はつね》の今日《けふ》の玉箒《たまばはき》手《て》に取《と》るからにゆらぐ玉《たま》の緒《を》 〔巻二十・四四九三〕 大伴家持
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天平宝字二年春正月三日、孝謙天皇、王臣等を召して玉箒《たまばはき》を賜い肆宴《とよのあかり》をきこしめした。その時右中弁大伴家持の作った歌である。正月三日(丙子《ひのえね》)は即ち初子の日に当ったから「初子《はつね》の今日」といった。玉箒は玉を飾った箒で、目利草《めどぎぐさ》(蓍草)で作った。古来農桑を御奨励になり、正月の初子《はつね》の日
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