の合った親友が会合しているという雰囲気《ふんいき》を籠《こ》めた句だが、簡潔で日本語のいい点をあらわしている。類似の句には、「何すとか君を厭《いと》はむ秋萩のその初花《はつはな》のうれしきものを」(巻十・二二七三)がある。
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春《はる》の野《ぬ》に霞《かすみ》たなびきうらがなしこの夕《ゆふ》かげにうぐひす鳴《な》くも 〔巻十九・四二九〇〕 大伴家持
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天平勝宝五年二月二十三日、大伴家持が興に依って作歌二首の第一である。一首は、もう春の野には霞がたなびいて、何となくうら悲しく感ぜられる。その夕がたの日のほのかな光に鶯が鳴いている、というので、日の入った後の残光と、春野に「おぼほし」というほどにかかっている靄《もや》とに観入して、「うら悲し」と詠歎したのであるが、この悲哀の情を抒《の》べたのは既に、人麿以前の作歌には無かったもので、この深く沁《し》む、細みのある歌調は家持あたりが開拓したものであった。それには支那文学や仏教の影響のあったことも確かであろうが、家持の内的「生」が既にそうなっていたとも看《み》ることが出来る。「うらがなし」を第三句に置き休止せしめたのも不思議にいい。
「朝顔は朝露おひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ」(巻十・二一〇四)、「夕影に来鳴くひぐらし幾許《ここだく》も日毎に聞けど飽かぬ声かも」(同・二一五七)などの例がある。なお、「醜霍公鳥《しこほととぎす》、暁《あかとき》のうらがなしきに」(巻八・一五〇七)は同じく家持の作だから同じ傾向のものと看《み》るべく、「春の日のうらがなしきにおくれゐて君に恋ひつつ顕《うつ》しけめやも」(巻十五・三七五二)は狭野茅上娘子《さぬのちがみのおとめ》の歌だから、やはり同じ傾向の範囲と看ることが出来、「うらがなし春の過ぐれば、霍公鳥いや敷き鳴きぬ」(巻十九・四一七七)もまた家持の作である。
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わが宿《やど》のいささ群竹《むらたけ》吹《ふ》く風《かぜ》の音《おと》のかそけきこの夕《ゆふべ》かも 〔巻十九・四二九一〕 大伴家持
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同じく第二首である。「いささ群竹」はいささかな竹林で、庭の一隅《いちぐう》にこもって竹林があった趣である。一首は、私の家の小竹林に、夕
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