》はども人妻《ひとづま》児《こ》ろをまゆかせらふも」(巻十四・三五四一)(目ゆかせざらむや)のに似ている。一首全体として見れば、武蔵野と丘陵と雉の生活と、別れた夫を慕う心と合体《がったい》して邪気の無い快い歌を形成している。
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鳰鳥《にほどり》の葛飾《かづしか》早稲《わせ》を饗《にへ》すとも其《そ》の愛《かな》しきを外《と》に立《た》てめやも 〔巻十四・三三八六〕 東歌
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下総国の歌。鳰鳥(かいつぶり)は水に潜《かず》くので、葛飾《かずしか》のかずへの枕詞とした。葛飾は今の葛飾《かつしか》区一帯。「饗《にえ》」は神に新穀を供え祭ること、即ち新嘗《にいなめ》の祭をいう。「にへ」は贄《にえ》で、「にひなめ」は、「にへのいみ」(折口博士)の義だとしてある。一首の意は、今は縦《たと》い葛飾で出来た早稲の新米を神様に供えてお祭をしている大切な、身を潔《きよ》くしていなければならない時であっても、あの恋《いと》しいお方のことですから、空《むな》しく家の外に立たせては置きませぬ、というので、「その愛しき」の「その」は憶良の歌にもあった、「そのかの母も」(巻三・三三七)の場合と同じである。軽く「あの」ぐらいにとればいい。それにしても、自分の恋しいあのお方ということを、「その愛《かな》しきを」という、簡潔でぞくぞくさせる程の情味もこもりいる、まことに旨《うま》い言葉である。農業民謡で、稲扱《いねこき》などをしながら大勢して歌うこともまた可能である。
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信濃路《しなぬぢ》は今《いま》の墾道《はりみち》刈株《かりばね》に足《あし》踏《ふ》ましむな履《くつ》著《は》け我《わ》が夫《せ》 〔巻十四・三三九九〕 東歌
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信濃国歌。「今の墾道《はりみち》」は、まだ最近の墾道というので、「新治《にひばり》の今つくる路《みち》さやかにも聞きにけるかも妹が上のことを」(巻十二・二八五五)が参考になる。一首の意は、信濃の国の此処《ここ》の新開道路は、未だ出来たばかりで、木や竹の刈株があってあぶないから、踏んで足を痛めてはなりませぬ、吾が夫よ、履《くつ》をお穿《は》きなさい、というのである。履は藁靴《わらぐつ》であっただろう。これも、旅人の気持でなく、
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