来るから、この語の原意は巻十四の方にあるだろう。なお、「はろばろに家を思ひ出《で》、負征箭《おひそや》のそよと鳴るまで、歎きつるかも」(巻二十・四三九八)、「この床のひしと鳴るまで嘆きつるかも」(巻十三・三二七〇)がある。

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ま愛《がな》しみさ寝《ね》に吾《わ》は行《ゆ》く鎌倉《かまくら》の美奈《みな》の瀬河《せがは》に潮《しほ》満《み》つなむか 〔巻十四・三三六六〕 東歌
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 相模国歌で、「みなの瀬河」は今の稲瀬川で坂の下の東で海に入る小川である。一首は、恋しくなってあの娘の処に寝に行くが、途中の鎌倉のみなのせ川に潮が満ちて渡りにくくなっているだろうか、というのである。「潮満つなむか」は、「潮満つらむか」の訛《なまり》である。内容は古樸な民謡で取りたてていう程のものではないが、歌調が快く音楽的に運ばれて行くのが特色で、こういう独特の動律《どうりつ》で進んでゆく歌調は、人麿の歌などにも無いものである。例えば、「玉裳の裾に潮みつらむか」(巻一・四〇)でもこう無邪気には行かぬところがある。また、「ま愛《がな》しみ寝《ね》らく愛《はし》けらくさ寝《な》らくは伊豆の高嶺《たかね》の鳴沢《なるさは》なすよ」(三三五八或本歌)などでも東歌的動律だが、この方には繰返しが目立つのに、鎌倉の歌の方はそれが目立たずに快い音のあるのは不思議である。

           ○

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武蔵野《むさしぬ》の小岫《をぐき》が雉《きざし》立《た》ち別《わか》れ往《い》にし宵《よひ》より夫《せ》ろに逢《あ》はなふよ 〔巻十四・三三七五〕 東歌
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「岫」は和名鈔《わみょうしょう》に山穴似[#レ]袖云々といっているが、小山に洞《ほら》などがあって雉子の住む処を聯想せしめる。雉が飛立つので、「立ち別れ」に続く序詞とした。「逢はなふよ」は「逢わず・よ」「逢わぬ・よ」、「逢わない・よ」である。一首の意は、あの晩に別れたきり、いまだに恋しい夫に逢《あ》わずに居ります、という女の歌であるが、結句の訛《なまり》と、「よ」なども特殊なものにしている。東歌には、結句に、「鳴沢《なるさは》なすよ」などもあり、他に余りない結句である。この歌の結句は、「崩岸辺《あずへ》から駒の行《ゆ》こ如《の》す危《あや
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