牽《ひ》かれて私はこの歌を選んだ。この時代の人は、幽玄などとは高調しなかったけれども、こういう幽かにして奥深いものに観入していて、それの写生をおろそかにしてはいないのである。此歌は人麿歌集出だから人麿或時期の作かも知れない。「あまのがは水陰《みづかげ》草の」(巻十・二〇一三)とあるのも、こういう草の趣であろうか。

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朝《あさ》去《ゆ》きて夕《ゆふべ》は来《き》ます君《きみ》ゆゑにゆゆしくも吾《あ》は歎《なげ》きつるかも 〔巻十二・二八九三〕 作者不詳
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「君ゆゑに」は、屡《しばしば》出てくる如く、「君によって恋うる」、即ち「君に恋うる」となるのだが、もとは、「君があるゆえにその君に恋うる」という意であったのであろうか。一首の意は、朝はお帰りになっても夕方になるとまたおいでになるあなたであるのに、我ながら忌々《いまいま》しくおもう程に、あなたが恋しいのです、待ちきれないのです、という程の歌で、此処の「ゆゆし」は忌々《いまいま》し、厭《いと》わしぐらいの意。「言《こと》にいでて言はばゆゆしみ山川の激《たぎ》つ心をせかへたるかも」(巻十一・二四三二)の如き例がある。この巻十一の歌の結句訓は、「せきあへてけり」(略解)、「せきあへにたり」(新訓)、「せきあへてあり」(総釈)等がある。「ゆゆし」は、慎《つつ》しみなく、憚《はばか》らずという意もあって、結局同一に帰するのだから、此歌の場合も、「慎しみもなく」と翻《ほん》してもいいが、忌々しいの方がもっと直接的に響くようである。

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玉勝間《たまかつま》逢《あ》はむといふは誰《たれ》なるか逢《あ》へる時《とき》さへ面隠《おもがく》しする 〔巻十二・二九一六〕 作者不詳
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「玉勝間」は逢うの枕詞で、タマは美称、カツマはカタマ(籠・筐)で、籠には蓋《ふた》があって蓋と籠とが合うので、逢うの枕詞とした。一首の意は、一体逢おうといったのは誰でしょう。それなのに折角《せっかく》逢えば、顔を隠したり何かして、というので、男女間の微妙な会話をまのあたり聞くような気持のする歌である。これは男が女に向っていっているのだが、云われて居る女の甘い行為までが、ありありと眼に見えるような表現である。女の男を
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