に白丸傍点]あかき心を、皇方《すめらべ》に極めつくして」(巻二十・四四六五)の例がある。なおベシヤの例は、「大和恋ひいの寝らえぬに情《こころ》なくこの渚《す》の埼に鶴《たづ》鳴くべしや」(巻一・七一)、「出でて行かむ時しはあらむを故《ことさ》らに妻恋しつつ立ちて行くべしや」(巻四・五八五)、「海《うみ》つ路《ぢ》の和《な》ぎなむ時も渡らなむかく立つ浪に船出すべしや」(巻九・一七八一)、「たらちねの母に障《さは》らばいたづらに汝《いまし》も吾も事成るべしや」(巻十一・二五一七)等である。

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あかねさす紫野《むらさきぬ》行《ゆ》き標野《しめぬ》行《ゆ》き野守《ぬもり》は見《み》ずや君《きみ》が袖《そで》振《ふ》る 〔巻一・二〇〕 額田王
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 天智天皇が近江の蒲生《がもう》野に遊猟(薬猟)したもうた時(天皇七年五月五日)、皇太子(大皇弟、大海人皇子《おおあまのみこ》)諸王・内臣・群臣が皆従った。その時、額田王が皇太子にさしあげた歌である。額田王ははじめ大海人皇子に婚《みあ》い十市皇女《とおちのひめみこ》を生んだが、後天智天皇に召されて宮中に侍していた。この歌は、そういう関係にある時のものである。「あかねさす」は紫の枕詞。「紫野」は染色の原料として紫草《むらさき》を栽培している野。「標野」は御料地として濫《みだ》りに人の出入を禁じた野で即ち蒲生野を指す。「野守」はその御料地の守部《もりべ》即ち番人である。
 一首の意は、お慕わしいあなたが紫草の群生する蒲生のこの御料地をあちこちとお歩きになって、私に御袖を振り遊ばすのを、野の番人から見られはしないでしょうか。それが不安心でございます、というのである。
 この「野守」に就き、或は天智天皇を申し奉るといい、或は諸臣のことだといい、皇太子の御思い人だといい、種々の取沙汰があるが、其等のことは奥に潜めて、野守は野守として大体を味う方が好い。また、「野守は見ずや君が袖ふる」をば、「立派なあなた(皇太子)の御姿を野守等よ見ないか」とうながすように解する説もある。「袖ふるとは、男にまれ女にまれ、立ありくにも道など行くにも、そのすがたの、なよ/\とをかしげなるをいふ」(攷證)。「わが愛する皇太子がかの野をか行きかく行き袖ふりたまふ姿をば人々は見ずや。われは見るからに
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