騰《アカシトイヘド》、安我多米波《アガタメハ》、照哉多麻波奴《テリヤタマハヌ》」(巻五・八九二)という憶良の歌は、明瞭に日月の光の形容にアカシを使っているし、「月読明少夜者更下乍《ツクヨミノアカリスクナキヨハフケニツツ》」(巻七・一〇七五)でも月光の形容にアカリを使っているのである。平安朝になってからは、「秋の夜の月の光しあかければ[#「秋の夜の月の光しあかければ」に白丸傍点]くらぶの山もこえぬべらなり」(古今・秋上)、「桂川月のあかきに[#「月のあかきに」に白丸傍点]ぞ渡る」(士佐日記)等をはじめ用例は多い。併し万葉時代と平安朝時代との言語の移行は暫時的・流動的なものだから、突如として変化するものでないことは、この実例を以ても証明することが出来たのである。約《つづ》めていえば[#「めていえば」に白丸傍点]、万葉時代に月光の形容にアカシを用いた[#「万葉時代に月光の形容にアカシを用いた」に白丸傍点]。
 次に、「安我己許呂安可志能宇良爾《アガココロアカシノウラニ》」(巻十五・三六二七)、「吾情清隅之池之《アガココロキヨスミノイケノ》」(巻十三・三二八九)、「加久佐波奴安加吉許己呂乎《カクサハヌアカキココロヲ》」(巻二十 四四六五)、「汝心之清明《ミマシガココロノアカキコトハ》」、「我心清明故《アガココロアカキユヱニ》」(古事記・上巻)、「有[#(リ)][#二]清心《キヨキココロ》[#一]」(書紀神代巻)、「浄伎明心乎持弖《キヨキアカキココロヲモチテ》」(続紀・巻十)等の例を見れば、心あかし、心きよし、あかき心、きよき心は、共通して用いられたことが分かるし、なお、「敷島のやまとの国に安伎良気伎《アキラケキ》名に負ふとものを心つとめよ」(巻二十・四四六六)、「つるぎ大刀いよよ研ぐべし古へゆ佐夜気久於比弖《サヤケクオヒテ》来にしその名ぞ」(同・四四六七)の二首は、大伴家持の連作で、二つとも「名」を咏《よ》んでいるのだが、アキラケキとサヤケキとの流用を証明しているのである。そして、「春日山押して照らせる此月は妹が庭にも清有家里《サヤケカリケリ》」(巻七・一〇七四)は、月光にサヤケシを用いた例であるから、以上を綜合《そうごう》して観《み》るに、アキラケシ、サヤケシ、アカシ、キヨシ、などの形容詞は互に共通して用いられ、互に流用せられたことが分かる。新撰字鏡《しんせんじきょう》に
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