とも類似歌であるがどちらが本当だか審《つまびらか》でないから、累《かさ》ねて載せたという左注がある。併し歌調から見て、雄略天皇御製とせば少し新し過ぎるようだから、先ず舒明天皇御製とした方が適当だろうという説が有力である。なお小倉山であるが、「白雲の竜田の山の、滝の上の小鞍《をぐら》の峯」(巻九・一七四七)は、竜田川(大和川)の亀の瀬岩附近、竜田山の一部である。それから、この(一六六四)が雄略天皇の御製とせば、朝倉宮近くであるから、今の磯城《しき》郡朝倉村黒崎に近い山だろうということも出来る。それに舒明天皇の高市崗本宮近くにある小倉山と、仮定のなかに入る小倉山が三つあるわけである。併し、舒明天皇の御製でも、若《も》しも行幸でもあって竜田の小鞍峯あたりでの吟咏《ぎんえい》とすると、小倉山考証の疑問はおのずから冰釈《ひょうしゃく》するわけであるけれども、「今夜は鳴かず」とことわっているから、ふだんにその鹿の声を御聞きになったことを示し、従って崗本宮近くに小倉山という名の山があったろうと想像することとなるのである。
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今朝《けさ》の朝《あさ》け雁《かり》がね聞《き》きつ春日山《かすがやま》もみぢにけらし吾《わ》がこころ痛《いた》し 〔巻八・一五二二〕 穂積皇子
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穂積皇子《ほづみのみこ》の御歌二首中の一つで、一首の意は、今日の朝に雁の声を聞いた、もう春日山は黄葉《もみじ》したであろうか。身に沁《し》みて心悲しい、というので、作者の心が雁の声を聞き黄葉を聯想しただけでも、心痛むという御境涯にあったものと見える。そしてなお推測すれば但馬皇女《たじまのひめみこ》との御関係があったのだから、それを参考するとおのずから解釈出来る点があるのである。何《いず》れにしても、第二句で「雁がね聞きつ」と切り、第四句で「もみぢにけらし」と切り、結句で「吾が心痛し」と切って、ぽつりぽつりとしている歌調はおのずから痛切な心境を暗指するものである。前の志貴皇子の「石激る垂水の上の」の御歌などと比較すると、その心境と声調の差別を明らかに知ることが出来るのである。もう一つの皇子の御歌は、「秋萩は咲きぬべからし吾が屋戸《やど》の浅茅が花の散りぬる見れば」(巻八・一五一四)というのである。なお、近くにある、但馬皇女の、「言《こと》し
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