〔巻七・一〇七五〕 作者不詳
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作者不詳、海岸にいて、夜更《よふけ》にのぼった月を見ると、光が清明でなく幾らか霞《かす》んでいるように見える。それをば、海上遙かなために、月も能《よ》く光らないと云うように、作者が感じたから、斯《こ》ういう表現を取ったものであろう。巻三(二九〇)に、「倉橋の山を高みか夜《よ》ごもりに出で来る月の光ともしき」とあるのも全体が似て居るが、この巻七の歌の方が、何となく稚《おさな》く素朴に出来ている。それだけ常識的でなく、却って深みを添えているのだが、常識的には理窟に合わぬところがあると見えて、解釈上の異見もあったのである。
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痛足河《あなしがは》河浪《かはなみ》立《た》ちぬ巻目《まきむく》の由槻《ゆつき》が岳《たけ》に雲居《くもゐ》立《た》てるらし 〔巻七・一〇八七〕 柿本人麿歌集
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柿本人麿歌集にある歌で、詠雲《くもをよめる》の中に収められている。痛足河《あなしがわ》は、大和磯城郡|纏向《まきむく》村にあり、纏向山(巻向山)と三輪山との間に源《みなもと》を発し、西流している川で今は巻向川と云っているが、当時は痛足《あなし》川とも云っただろう。近くに穴師《あなし》(痛足)の里がある。由槻《ゆつき》が岳《たけ》は巻向山の高い一峰だというのが大体間違ない。一首の意は、痛足河に河浪が強く立っている。恐らく巻向山の一峰である由槻が岳に、雲が立ち雨も降っていると見える、というので、既に由槻が岳に雲霧の去来しているのが見える趣《おもむき》である。強く荒々しい歌調が、自然の動運をさながらに象徴すると看《み》ていい。第二句に、「立ちぬ」、結句に「立てるらし」と云っても、別に耳障《みみざわ》りしないのみならず、一首に三つも固有名詞を入れている点なども、大胆《だいたん》なわざだが、作者はただ心の儘《まま》にそれを実行して毫《ごう》もこだわることがない。そしてこの単純な内容をば、荘重な響を以て統一している点は実に驚くべきで、恐らくこの一首は人麿自身の作だろうと推測することが出来る。結句、原文「雲居立有良志」だから、クモヰタテルラシと訓んだが、「有」の無い古鈔本もあり、従ってクモヰタツラシとも訓まれている。この訓もなかなか好いから、認容して鑑賞してかまわない。
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