つものである。糧米をカリテと訓むは、霊異記《りょういき》下巻に糧(可里弖)とあるによっても明かで、乾飯直《カレヒテ》の義(攷證)だと云われている。一に云、「かれひはなしに」とあるのは、「餉《かれひ》は無《な》しに」で意味は同じい。カレヒは乾飯《カレイヒ》である。憶良の作ったこのあたりの歌の中で、私は此一首を好んでいる。
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世間《よのなか》を憂《う》しと恥《やさ》しと思《おも》へども飛《と》び立《た》ちかねつ鳥《とり》にしあらねば 〔巻五・八九三〕 山上憶良
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山上憶良の「貧窮問答の歌一首并に短歌」(土屋氏云、憶良上京後、即ち天平三年秋冬以後の作であろう。)の短歌である。長歌の方は、二人貧者の問答の体で、一人が、「風|雑《まじ》り雨降る夜の、……如何にしつつか、汝《な》が世は渡る」といえば、一人が、「天地は広しといへど、あが為《ため》は狭《さ》くやなりぬる、……斯くばかり術《すべ》無きものか、世間《よのなか》の道」と答えるところで、万葉集中特殊なもので、また憶良の作中のよいものである。
この反歌一首の意は、こう吾々は貧乏で世間が辛《つら》いの恥《はず》かしいのと云ったところで、所詮《しょせん》吾々は人間の赤裸々で、鳥ではないのだからして、何処ぞへ飛び去るわけにも行くまい、というのである。「やさし」は、恥かしいということで、「玉島のこの川上に家はあれど君を恥《やさ》しみ顕《あらは》さずありき」(巻五・八五四)にその例がある。この反歌も、長歌の方で、細かくいろいろと云ったから、概括的に締めくくったのだが、やはり貧乏人の言葉にして、その語気が出ているのでただの概念歌から脱却している。論語に、邦有[#レ]道、貧且賤焉耻也とあり、魏文帝の詩に、願[#レ]飛安[#(ゾ)]得[#(ン)][#レ]翼、欲[#レ]済《ワタラント》河無[#レ]梁《ハシ》とあるのも参考となり、憶良の長歌の句などには支那の出典を見出し得るのである。
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慰《なぐさ》むる心《こころ》はなしに雲隠《くもがく》り鳴《な》き往《ゆ》く鳥《とり》の哭《ね》のみし泣《な》かゆ 〔巻五・八九八〕 山上憶良
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山上憶良の、「老身重病経[#レ]年辛苦、及思[#二]児等[#一
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