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笠女郎《かさのいらつめ》が大伴家持に贈った廿四首の中の一つである。平山《ならやま》は奈良の北にある那羅山《ならやま》で、其処に松が多かったことは、「平山《ならやま》の小松が末《うれ》の」(巻十一・二四八七)等の歌によっても分かる。これは家持に向って愬《うった》えているので、分かりよい、調子のなだらかな歌である。この歌の次に、「わが屋戸《やど》の夕影草《ゆふかげぐさ》の白露の消ぬがにもとな念《おも》ほゆるかも」(巻四・五九四)というのもあり、極めて流暢《りゅうちょう》に歌いあげている。相当の才女であるが、この時代になると、歌としての修練が既に必要になって来ているから、藤原朝あたりのものとも違って、もっと文学的にならんとしつつあるのである。併し此等の歌でも如何に快いものであるか、後代の歌に較べて、いまだ万葉の実質の残っていることをおもわねばならない。
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相《あひ》念《おも》はぬ人《ひと》を思《おも》ふは大寺《おほてら》の餓鬼《がき》の後《しりへ》にぬかづく如《ごと》し 〔巻四・六〇八〕 笠女郎
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笠女郎が家持に贈ったものである。当時の大寺には種々の餓鬼が画図として画かれ、或は木像などとして据えてあったものであろうか。あなたのように幾ら思っても甲斐ない方は、伽藍《がらん》の中に居る餓鬼像を後ろから拝むようなものではありませんか、というので、才気のまさった諧謔《かいぎゃく》の歌である。仏教の盛な時代であるから、才気の豊かな女等はこのくらいの事は常に云ったかも知れぬが、後代の吾等にはやはり諧謔的に心の働いた面白いものである。そしてこの歌でよいのは女の語気を直接に聞き得るごとくに感じ得る点にある。
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沖《おき》へ行《ゆ》き辺《へ》に行《ゆ》き今《いま》や妹《いも》がためわが漁《すなど》れる藻臥束鮒《もふしつかふな》 〔巻四・六二五〕 高安王
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高安王《たかやすのおおきみ》が鮒の土産《みやげ》を娘子《おとめ》に呉れたときの歌である。高安王は天平十四年正四位下で卒した人で、十一年|大原真人《おおはらのまひと》の姓を賜わっている。一首の意味は、この鮒は、深いところから岸の浅いところ方々《ほうぼう》歩いて、
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