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繩《なは》の浦ゆ背向《そがひ》に見ゆる奥《おき》つ島|榜《こ》ぎ回《た》む舟は釣し(釣を)すらしも (巻三・三五七)
阿倍《あべ》の島|鵜《う》の住む磯に寄する浪|間《ま》なくこのごろ大和し念《おも》ほゆ (同・三五九)
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吉野《よしぬ》なる夏実《なつみ》の河《かは》の川淀《かはよど》に鴨《かも》ぞ鳴《な》くなる山《やま》かげにして 〔巻三・三七五〕 湯原王
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 湯原王《ゆはらのおおきみ》が吉野で作られた御歌である。湯原王の事は審《つまびらか》でないが、志貴皇子《しきのみこ》の第二子で光仁天皇の御兄弟であろう。日本後紀に、「延暦廿四年十一月(中略)壱志濃王薨、田原天皇之孫、湯原親王之第二子」云々とある。「夏実」は吉野川の一部で、宮滝の上流約十町にある。今菜摘と称している。(土屋氏に新説ある。)
 一首の意は、吉野にある夏実の川淵に鴨が鳴いている。山のかげの静かなところだ、というので、これは現に鴨の泳いでいるのを見て作ったものであろう。結句の、「山かげにして」は、鴨の泳いでいる夏実の淀淵の説明だが、結果から云えば一首に響く大切な句で、作者の感慨が此処にこもり、意味は場処の説明でも、一首全体の声調からいえばもはや単なる説明ではなくなっている。こういう結句の効果については、前出の人麿の歌(巻三・二五四)の処でも説明した。此歌は従来叙景歌の極致として取扱われたが、いかにもそういうところがある。ただ佳作と評価する結論のうちに、抒情詩としての声調という点を抜きにしてはならぬのである。また此歌の有名になったのは、一面に万葉調の歌の中では分かり好いためだということもある。一首の中に、「なる」の音が二つもあり、加行の音の多いのなども分析すれば分析し得るところである。

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軽《かる》の池《いけ》の浦《うら》回行《みゆ》きめぐる鴨《かも》すらに玉藻《たまも》のうへに独《ひと》り宿《ね》なくに 〔巻三・三九〇〕 紀皇女
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 紀皇女《きのひめみこ》の御歌で、皇女は天武天皇皇女で、穂積皇子《ほづみのみこ》の御妹にあられる。一首の意は、軽の池の岸のところを泳ぎ廻っているあの鴨でも、玉藻の上にただ一つで寝
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