とがあるだろうか、もはやそれは叶《かな》わぬことだ。こうして年老いて辺土に居れば、寧楽《なら》の都をも見ずにしまうだろう、というので、「をつ」という上二段活用の語は、元へ還ることで、若がえることに用いている。「昔見しより変若《をち》ましにけり」(巻四・六五〇)は、昔見た時よりも却って若返ったという意味で、旅人の歌の、「変若」と同じである。
旅人の歌は、彼は文学的にも素養の豊かな人であったので、極めて自在に歌を作っているし、寧ろ思想的抒情詩という方面にも開拓して行った人だが、歌が明快なために、一首の声調に暈《うん》が少いという欠点があった。その中にあって此歌の如きは、流石《さすが》に老に入った境界の作で、感慨もまた深いものがある。
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わが命《いのち》も常《つね》にあらぬか昔《むかし》見《み》し象《きさ》の小河《をがは》を行《ゆ》きて見むため 〔巻三・三三二〕 大伴旅人
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旅人作の五首中の一首である。一首の意は、わが命もいつも変らずありたいものだ。昔見た吉野の象の小川を見んために、というので、「常にあらぬか」は文法的には疑問の助詞だが、斯く疑うのは希《ねが》う心があるからで、結局同一に帰する。「苦しくも降りくる雨か」でも同様である。この歌も分かり易い歌だが、平俗でなく、旅人の優れた点をあらわし得たものであろう。哀韻もここまで目立たずに籠《こも》れば、歌人として第一流と謂っていい。やはり旅人の作に、「昔見し象《きさ》の小河を今見ればいよよ清《さや》けくなりにけるかも」(巻三・三一六)というのがある。これは吉野宮行幸の時で、聖武天皇の神亀元年だとせば、「わが命も」の歌よりも以前で、未だ太宰府に行かなかった頃の作ということになる。
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しらぬひ筑紫《つくし》の綿《わた》は身《み》につけていまだは着《き》ねど暖《あたた》けく見ゆ 〔巻三・三三六〕 沙弥満誓
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沙弥満誓《さみのまんぜい》が綿《わた》を詠じた歌である。満誓は笠朝臣麻呂《かさのあそみまろ》で、出家して満誓となった。養老七年満誓に筑紫の観世音寺を造営せしめた記事が、続日本紀《しょくにほんぎ》に見えている。満誓の歌としては、「世の中を何《なに》に譬《たと》へむ朝びらき
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