て」につづく。「家ゆ出でて三年がほどに」、「痛足《あなし》の川ゆ行く水の」、「野坂の浦ゆ船出して」、「山の際《ま》ゆ出雲《いづも》の児ら」等の用例がある。また「ゆ」は見渡すという行為にも関聯しているから、「見れば」にも続く。「わが寝たる衣の上ゆ朝月夜《あさづくよ》さやかに見れば」、「海人《あま》の釣舟浪の上ゆ見ゆ」、「舟瀬《ふなせ》ゆ見ゆる淡路島」等の例がある。前に出た、「御井《みゐ》の上より鳴きわたりゆく」の「より」のところでも言及したが、言語は流動的なものだから、大体の約束による用例に拠って極めればよく、それも幾何学の証明か何ぞのように堅苦しくない方がいい。つまり此処で赤人はなぜ「ゆ」を使ったかというに、作者の行為・位置を示そうとしたのと、「に」とすれば、「真白にぞ」の「に」に邪魔をするという微妙な点もあったのであろう。
 赤人の此処の長歌も簡潔で旨《うま》く、その次の無名氏(高橋|連《むらじ》虫麿か)の長歌よりも旨い。また此反歌は古来人口に膾炙《かいしゃ》し、叙景歌の絶唱とせられたものだが、まことにその通りで赤人作中の傑作である。赤人のものは、総じて健康体の如くに、清潔なところがあって、だらりとした弛緩《しかん》がない。ゆえに、規模が大きく緊密な声調にせねばならぬような対象の場合に、他の歌人の企て及ばぬ成功をするのである。この一首中にあって最も注意すべき二つの句、即ち、第三句で、「真白にぞ」と大きく云って、結句で、「雪は降りける」と連体形で止めたのは、柿本人麿の、「青駒の足掻《あがき》を速み雲居にぞ[#「にぞ」に白丸傍点]妹があたりを過ぎて来にける[#「来にける」に白丸傍点]」(巻二・一三六)という歌と形態上甚だ似ているにも拘《かか》わらず、人麿の歌の方が強く流動的で、赤人の歌の方は寧ろ浄勁《じょうけい》とでもいうべきものを成就《じょうじゅ》している。古義で、「真白くぞ」と訓み、新古今で、「田子の浦に打出て見れば白妙の富士の高根に雪は降りつつ」として載せたのは、種々比較して味うのに便利である。また、無名氏の反歌、「不尽《ふじ》の嶺《ね》に降り置ける雪は六月《みなづき》の十五日《もち》に消ぬればその夜降りけり」(巻三・三二〇)も佳い歌だから、此処に置いて味っていい。(附記。山田博士の講義に、「田児浦の内の或地より打ち出で見ればといふことにて足る筈なり。かくてその
前へ 次へ
全266ページ中92ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング