しミダレドモと訓むならばもっとよいのだから、私はミダレドモの訓に執着するものである。(本書は簡単を必要とするからミダル四段説は別論して置いた。)
 巻七に、「竹島の阿渡白波は動《とよ》めども(さわげども)われは家おもふ廬《いほり》悲しみ」(一二三八)というのがあり、類似しているが、人麿の歌の模倣ではなかろうか。

           ○

[#ここから5字下げ]
青駒《あをこま》の足掻《あがき》を速《はや》み雲居《くもゐ》にぞ妹《いも》があたりを過《す》ぎて来《き》にける 〔巻二・一三六〕 柿本人麿
[#ここで字下げ終わり]
 これもやはり人麿が石見から大和へのぼって来る時の歌で、第二長歌の反歌になっている。「青駒」はいわゆる青毛の馬で、黒に青みを帯びたもの、大体黒馬とおもって差支ない。白馬だという説は当らない。「足掻を速み」は馬の駈《か》けるさまである。
 一首の意は、妻の居るあたりをもっと見たいのだが、自分の乗っている青馬の駈けるのが速いので、妻のいる筈の里も、いつか空遠《そらとお》く隔ってしまった、というのである。
 内容がこれだけだが、歌柄が強く大きく、人麿的声調を遺憾なく発揮したものである。恋愛の悲哀といおうより寧ろ荘重の気に打たれると云った声調である。そこにおのずから人麿的な一つの類型も聯想せられるのだが、人麿は細々《こまごま》したことを描写せずに、真率《しんそつ》に真心をこめて歌うのがその特徴だから内容の単純化も行われるのである。「雲居にぞ」といって、「過ぎて来にける」と止めたのは実に旨い。もっともこの調子は藤原の御井の長歌にも、「雲井にぞ遠くありける」(巻一・五二)というのがある。この歌の次に、「秋山に落つる黄葉《もみぢば》しましくはな散り乱《みだ》れそ妹《いも》があたり見む」(巻二・一三七)というのがある。これも客観的よりも、心の調子で歌っている。それを嫌う人は嫌うのだが、軽浮に堕ちない点を見免《みのが》してはならぬのである。この石見から上来する時の歌は人麿としては晩年の作に属するものであろう。

           ○

[#ここから5字下げ]
磐代《いはしろ》の浜松《はままつ》が枝《え》を引《ひ》き結《むす》び真幸《ささき》くあらば亦《また》かへり見《み》む 〔巻二・一四一〕 有間皇子
[#ここで字下げ終わり]
 有間皇子《ありまのみこ》(
前へ 次へ
全266ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング